
Dreams Come True 〜プロスポーツのある街 VOL.1〜(2009年8月3日〜配信)
【執筆者プロフィール】
清原 邦彦(きよはら くにひこ)
昭和22年生まれ、富山市出身。昭和45年北陸電力株式会社入社。
北陸電力サッカー部設立に尽力し、ファンクラブ代表も務めた。
北陸電力株式会社常務取締役を経て今年4月、株式会社カターレ富山代表取締役に就任。
座右の銘…至誠天に通ず
「カターレ富山の社長として」
◆社長就任
今年4月23日にJ2・カターレ富山の社長に就任いたしましたが、以前、部外者としてカターレ富山をどう見ていたかと云えば、県民クラブチームとして発足し、1年でのJリーグ昇格は大変素晴らしい実績を上げていると思っていました。
まさか、今年Jリーグに上がって1年目のチームの社長を自分が引き受けるとは思っていなかったので、話をお受けした時は正直大変な仕事を引き受けてしまったと思いました。
社長就任後あっという間に3ヵ月が経ちました。J2に昇格しても、運営はJFLの時とほぼ同じ体制で運営しているため、開幕後の2〜3ヵ月は直近の試合運営に精一杯でした。また、試合のイベントや告知、集客対策、ファンサービス等もまだまだ行き届いていないと反省しております。
地域貢献でも実施方法・タイミングと効果についての掘り下げが不十分だと感じています。取り組むべき課題は山積ですがスピード感を持って的確な対応が出来る体制を一日でも早く築きたいと考えています。
◆サッカーを通しての地域活性化
カターレ富山のスタッフは、「サッカーを通して地域の活性化に寄与したい」という設立目標の下、懸命に頑張っています。地域の夢を実現する仕事に自分達が直接携わっているという誇り、気概を持って仕事に取り組んでいますので、こうした仲間と一緒に仕事が出来ることにとてもやりがいを感じています。
後は、地域・県民の皆様に私達の活動を理解してもらえる輪を如何に広げていくかを考える必要があると思っています。
◆サポーターの輪、点から面へ
その成果が少し形として表れてきたのが7月8日(水)の横浜FCを迎えての試合だったと思います。平日のナイターで悪天候にも拘らず4427名ものお客様に競技場へお越しいただきました。「黒部市の日」というサンクスデーになったことで黒部市から堀内市長はじめ多くの黒部市民の皆様がバス8台に乗り分けるなどして観戦に駆けつけていただきました。
また、県内企業にも「ノー残業デーでカズを見に行こう」と呼びかけたり、競技場近くの新保地区や練習場の草島地区の皆様などにも観戦いただくようにお願いしてまいりました。サポーターの輪が点から面へジワジワと広がりを見せてきているように感じております。
試合も2対0で勝利し、多くの方に応援する喜びを感じていただいたのではと喜んでおります。こうした地道な集客活動を続けていくことの大切さを改めて再認識させられた試合でした。
「サッカーとの関わり」
◆巡り合わせ
サッカーの経験がない私がサッカーと関わり始めたのは、約20年も前のことです。1990年、北陸電力に企業イメージの向上と地域スポーツ振興、社員の士気高揚という3つの目的の下サッカー部が誕生しました。サッカーがまだアマチュアが中心だった頃です。不思議な巡り合わせで労務担当課長だった私が直接サッカー部の担当になりました。
選手集めや指導者の選定に加え練習場や合宿所の整備など新たな仕事が山ほどありました。当時古河電工所属だった、現・日本サッカー協会名誉会長の川淵三郎氏に上司と共にスーパーバイザーを依頼し、どうにかサッカー部が出来ました。当時は全くの素人で訳分からず突っ走っていました。今振り返ると、とても充実感を持って仕事をしていたと思います。
◆ファンの1人として
1993年、北陸電力サッカー部が天皇杯全日本サッカー選手権大会の富山県代表になりました。広島での1回戦、相手は早稲田大学。0対1で惜しくも敗れたのですが、広島まで応援に行き、感じていたことは、ただ「応援したい」ということでした。その時はもうサッカー部の役からは離れていましたので、“一ファンとして”です。
◆ファンクラブ設立
95年、「北電アローズ」と改名された年に有志によってファンクラブが設立されました。以前よりファンクラブを創ろうという話があり、ようやく実現した形です。そして初代会長に推され2005年まで務めることとなりました。
会社のサッカー部設立やファンクラブの創設に最初から関わるなど、サッカーと『縁』があったのでしょう。今、こうしてカターレ富山の社長を務めています。
この事業はスポーツ振興くじの
助成を受けて実施しています